3月21日から6日間、滋賀県高浜市で「CPC Spring Camp 2026:集合的予測符号化と記号創発システムに関する春の研究合宿2026」が行われ、私は記録係として、前半5日間参加した。

合宿のレポートは、以下の通り公開した。

https://sites.google.com/view/cpc-spring-camp-2026/report

個人用アーカイブの意味で、以下、開催趣旨と編集後記を転記する。

開催の背景

背景

合宿の詳報に入る前に、本合宿の中心的な概念であるCPCとは何か、そしてなぜこの学際的な研究合宿が開催されたのかについて触れておきたい。

記号創発システム論と集合的予測符号化(CPC)

記号創発システム論とは、かつてステファン・ハーナッドが提起した記号接地問題を出発点にしつつ、より根本的な問題としての記号創発問題を問う学理である。人間が用いる記号は誰かが脳に与えたのではなく、成長と他者とのやりとりのなかで獲得され、社会によって意味が作られ変化する。それがどのように起こるのかを問うのが記号創発問題であり、それにシステム的な解を与えようとするのが記号創発システム論である。この分野は2010年ころに谷口忠大によって提唱され、ロボット実装や数理モデルで構成論、つまり「つくって理解する」アプローチをとることを特徴としてきた。

集合的予測符号化(CPC) は、記号創発問題に関する具体的な仮説である。CPCは、脳科学・機械学習で発展した予測符号化(Predictive Coding: PC)と、カール・フリストンらの自由エネルギー原理(FEP)が述べる個体内の予測誤差最小化を、複数エージェントが記号やメッセージを交換しながら分散的なベイズ推論を行う描像へ拡張する。つまりCPCによれば、各主体が身体・感覚運動を通じて世界を内的に表象し、コミュニケーションで互いの予測を更新するとき、集団としてベイズ推論を行うある種のエージェントとして立ち現れる。ここでは、シャノン流の通信モデルが前提とする「あらかじめ共有された符号表(codebook)」を前提とせずに記号を扱い、意味の対応関係そのものが相互作用のなかでいかに創発するかの機序の説明を目指す点で、新しい情報理論でもある。

前回のCPC Camp以降の進展

この集合的予測符号化(CPC)仮説が登場したことにより、記号創発システム論は一気に学際的な展開を加速している。CPC仮説を初めて提唱した2024年論文のOutstanding Article Award受賞、「CPC as a Model of Science」論文の Royal Society Open Science 掲載、カール・フリストンらが展開するActive Inferenceのコミュニティへの接続、ALIFE・IEEE SIIなど国際的な舞台への露出も相次ぎ、海外からの関心が具体的に動き始めた。合宿の開始前日(2026年3月20日)には台湾のオードリー・タン氏やA-LIFE Instituteのメンバーとの共著論文 Symbiotic Alignment via Collective Predictive Codingがプレプリントとして公開された。

谷口が直接関わっていない活動も活発化している。前回のCPC Spring Camp 2025 では、分野をまたいだ濃密な議論が行われたが、そこからさまざまな勉強会・読書会・若手ワークショップや共同研究も生まれている。他方、昨年のCampは「密度が高すぎた」という感想も残した。深い学際対話が始まりかけたところで、時間切れになったような感覚もあった。理論を議論し、成果や計画を具体的に持ち帰るには時間がかかる。かつての重要な学術ムーブメントは対面型の、時間をかけた議論から生まれている。谷口は今年のオープニングで「ダートマス会議は約2か月だった、今の日本でこうした時間が取れないとすれば、その時点で負けている」と述べた。そうした折、Google社による個別の研究ではなくエコシステム構築を支えるグラントの公募を知り、谷口が応募したところ採択された。この資金的バックアップを得て、前回のCampの経験も踏まえ、前回の倍以上となる5泊6日での開催が決まった。

時代的な文脈と合宿の射程

Camp参加者にとっての参加へのモチベーションや背景はさまざまだろう。しかし共有されていた文脈として、昨今のAIの進化が引き続きあったことは間違いない。2025年、生成AIは汎用的な情報処理ツールの段階を超え、自律的に行動するエージェント(Agentic AI)へと急速に転じた。ロボティクスではVLA(Vision-Language-Action Model)が広がってPhysical AIやヒューマノイドへの注目が一気に高まった。同年にはChatGPTのモデル更新を契機に「#keep4o」運動が起き、AIが人間の情動面に与える影響や、人間とAIの「関係性」「意味づけ」が実際的な社会問題として浮上した。2026年に入ると、自律性の高いAIエージェントシステムの普及や、マルチエージェントシステムの実装が進んでいる。個人がつかう便利なツールや対話相手としてのAIから、私たちが属する組織の構成員でもあり、社会に大混乱をもたらしかねない存在になりつつある。異質な知能たちが織りなす社会の安定性と、記号・言語がそこで果たす役割、身体・認知・行動との相互作用を理解することは、社会にとってリアルな課題であるとともに、あらゆる学問領域に対して、それをどう扱うかを問うものとなっている。

この状況に対して、記号創発システム論、そしてCPCは、シャノン=ウィーバーの通信モデルが置き去りにした「意味」の問題を正面に据え、人間がもつ個人の知能と集団の知能をつなぐ新しい学理を提供しうる。少なくとも、その議論を異分野間で開始するための土台となる。本Campでは、必ずしもCPC仮説に賛同しない参加者も含めて、AIに代表される外部環境の変化の中で必要とされる学際的な対話が目指された。こうした実験的な試みとして、CPC Spring Camp 2026が開幕した。

編集後記

以上、CPC Campの様子を見てきた。本合宿では、記号創発システム論と集合的予測符号化(CPC)がもつ理論的展開と応用の可能性が、学際的に検討された。生命記号論・文化心理学・言語獲得・自由エネルギー原理・社会学・経済学・記号論・メディアアート・音楽・創造性・哲学・ロボティクスという多彩な分野をホームグラウンドに持つ参加者が、CPCという旗のもとで議論に明け暮れた。メイン会場で行われた、いわば「オンレコード」の議論以外にも、自由時間に自発的に生まれた小グループでの議論、琵琶湖のほとりで動画撮影を回しながら行われた討論、夜中まで続けられた懇談、そしてトピックごとに建てられた60近くのSlackチャンネルでも、パラレルに議論が進められた。

CPC Campの開催は昨年に続き2回目となる。前回との最大の違いは、何といっても6日間という会期の長さだろう。実行委員長の谷口から「今年は5泊6日でいく」と聞いたとき、筆者を含めスタッフ一同は驚いた。各自多忙な研究者たちにとって、これだけの時間を捻出するのは容易ではない。それもあり、今回は途中参加・途中離脱の参加者がほとんどであり、相当な苦労を伴う細かい調整のもと、実行された。なかには、滋賀から東京などに戻って用務を済ませ、また滋賀に戻ってくるという往復を敢行した参加者もいた。途中離脱メンバーが持ち込んでくれた議論を受け継ぎ、途中参加のメンバーがまた新たな視点を持ち込む。この長丁場の合宿ならではの新陳代謝を感じることもできた。

終わってみれば、Day 1に谷口が述べた「この時間をとれない時点で負けている」という言葉には説得力がある。この時間をかけたことにより深まった議論が確かにあったと思う。ビジネス系カンファレンスに出たあとにCPC Campに参加したあるメンバーは、いかにこのCampが社交辞令などの儀礼的なコミュニケーションの場の対極にあるかを語っていた。これはそのとおりで、Campで打ち解けたメンバーとは、朝も晩もゼロ秒でお互いが最も知的に関心のある議論を開始できる。そのインタラクションがそのまま自分の「世界モデル」の更新につながる。そして、そのような時間が半日ではなく6日間続いたこと、そのような場は今日の学術コミュニケーションの中では得がたいものになっているように思われる。

具体的に、このようなCampは何を生んでいるのだろうか。冒頭のあいさつで、谷口はCampの成功は「参加者一人一人が何を得たかの総和で決まる」と述べた。つまり、Campのために参加者が呼ばれたのではなく、参加者のためにCampがある、ということだろう。当然、CPCへの関心のありようは参加者ごとにかなり異なっていた。CPC自体を数理的に探究したい人、自身のディシプリンに新しい説明をもたらす科学的理論としての期待を寄せる人、工学的応用の原理と考える人、AIとの共生を考える際の社会の設計原理の手がかりを見出そうとする人、自身の生き方や組織の在り方の指針を求める人。こうした多様な期待に、今後CPCがどこまで答えられるかは未知である。しかし2回目のCampでは同じ課題も再浮上したが、1回目と比べて着実に先へ進んでいる感覚があった。とりわけ、大学院生の方々が、1年を経て研究成果を携え、また新しい問題意識を携えて成長した姿でCampに戻ってきていること、さらに強力な同世代の新しい仲間を連れてネットワークを広げていることが印象的だった。

今回のCampにはAIも参加した。Slackに接続されたClaudeが議論を要約し、人間のやりとりを視聴してリアルタイムにコメントするボットが動き、やがてボット同士の会話が始まり、それを人間が横から観測するという事態が現れた。いまAIは単なるチャットボットにとどまらず、自律的に動くエージェントとして人間の集団のなかへ入り込みつつある。そうした時代に、CPCや記号創発システム論は現実を捉え直す学理として、ますますその威力を増していくだろう。合宿を通じて、そうした手応えを強く感じた。普通の研究合宿なら「新しいAIツールを活用した先進的な会議運営」で終わるところ、CPC Campでは、そのAIの振る舞い自体が、理論が説明しようとしている現象そのものに触れている。人間の議論のなかにAIを招き入れるとは何を意味するのか。説明すべき対象を場のなかで生成し、同時に、新しい技術的存在によって集合的知性を組み替える。そのように議論が進んでいったように見えた。

2回目のCampを経て、このコミュニティの活動はどこへ向かうのだろうか。招待制をとった本Campは、人数の制約や各人の予定により参加いただけなかった方も多い。今後はCamp以外にも、より開かれた形での学術発信や議論の場づくりが予定されている。たとえば、自由エネルギー原理に関する国際学会IWAI 2026との連携深化やIEEE ICDL 2026への発表が計画されており、アウトリーチ面でもCPCチュートリアル動画のYouTube公開やCPC若手の会の発足が話に出た。そのほか、CPCに直接・間接に関連した活動が、各参加者の研究・実践のなかで動き始めている。

そうした活動が、Campのなかでも議論した「学術的ムーブメント」として、どのように花開いていくことになるかは分からない。しかし、CPCというアイディアの周りに今日稀に見る超学際対話の場が開かれていること、そして、この5泊6日の間に次の展開に向けた多くの種が蒔かれたことは間違いない。

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前回、1年前のCPC Campは自分にとっても大きな経験だったため、今年もとても期待して参加した。ただ、業務受託先の仕事が佳境であったこと、参加当日の体調が思わしくなかったこともありかなり不安だったが、始まってみれば会議のバイブスに何となくなじみはじめ、体調も最後まで大きく崩すことがなく参加できた。

以上に書いたように、とても充実した合宿であり、このような学際対話の場がほかにどれくらいあるのかはわからないが、非常に大事な場になっているのではないかと感じた。そのうえで、以下では、Campを経て私自身が得た非常に個人的な気づきを書きたい。

とても個人的な感想

CPC Campでしか味わえない体験がある。それはSlackというコミュニケーションツールによるところが大きい。CPC Campでは、全員が注意を向けている「番組」としてのメイントークの裏で、複線的にSlack上で議論が流れる。トークが行われていない時間にも、60近く存在しているチャンネルで、誰かが議論を続けているのである。それに自分自身加わりながら、全体として誰が何を考え、誰と議論しているのかを追う。もちろん、Slackに書き込まれることは、60名の参加者が6日間の間に行ったインタラクションのうちのごく一部が記録されているに過ぎないだろうが、それでも、自分が直接見聞きできることの数倍ないし数十倍のインプットがある。これを追うのはものすごく疲労するのだが、私にとっては非常に楽しいことでもある。

複線的な学術的な議論を追いかけるのが、私にとってなぜこんなに楽しいのか。今回のCampで、その理由が割とはっきりわかったような気がしており、それが私にとっての個人的な収穫となった。自分が何かを学ぶのが好きだと思っていたのだが、それと同時に、「人が集団として何を学習したのかを知りたい」という欲求を持っているようだ。

思い当たる節がたくさんある。たとえば私は大学2年生くらいから、かなりの頻度で講義で質問する学生だった。それは純粋に知りたいことを聞いているという面もあったが、その講義で生じているであろう集合的な学びを確かに受け取ったことを表明したいという意図もあった。講師が授業で強調したかったと思われるような重要ポイントに絡めた質問をすることで、確かにそれを受け取った学生がいることを講師に伝えつつ、他の学生たちのアテンションもそのポイントに向けてみる。これによって、その講義がよりよい学びの時間として、成立する。そんなイメージがあったかもしれない。もちろん、その成否はわからない。

あるいは、大人になってから参加した数多くの対談イベント、パネルディスカッション、シンポジウム等では、私はプレゼンターAが述べたこととプレゼンターBが述べたことに絡めた質問をする傾向がある。これは、AとBの話に、自分の質問が補助線として機能し、「その会全体として」何が議論されたのかを把握しやすくなるのではないかとの思いからである。もちろん、それがうまくいっている保証はない。また、普段の仕事でも私は議事録を作るのが好きなのだが、これもまた、「その場」で生まれた知的成果を丸ごと把握したいという欲求がなせることだと思われる。

CPC Campに臨むにあたり、私は「生活者のためのCPC」という15分のトークを用意した。その中では、CPCや記号創発システム論の枠組みを使うと、「私にとっての理解」と、「集団としての理解」を、AI/機械学習の用語を援用して、My World Model(MWM)とCollective World Model(CWM)という二つの階層に分けて理解することができるのではないか、という提案をした。そのうえで、「My World Modelの世話ができるのは自分だけ」という、AI時代の自己啓発的な標語を提示してみた。一方で、MWMとCWMの区別は、意図したわけではないのだが、CPC Campにおける自分の行動、そして自分の20年来の志向性を理解するためにも役に立つものであった。

どういうことかといえば、私には「自分のMWMの世話をする」だけでなく、昔から「CWM(collective world model)を掴みたい」という欲望があるらしい。会議に参加しながら、可能な限りすべてのSlackでのやり取りを眺め、それらに自分なりの脈絡をつくりたい。何とか小さな自分の頭で、「この会に参加した”みんな”が総体として何を理解し得たのか」を捉えたいという欲求である。個人の認知能力では到底不可能な欲求ではあるものの、これが強いことが、自分のこれまでの物事への関心の持ち方を説明するように思った。そしてこれが、「講義」や「シンポジウム」や「合宿」を超えて、科学コミュニティ全体でみたいな話になると、私のメタサイエンスへの関心につながる。

この、CWMとMWM、そして「理解」の問題については、「AI時代を生きるための〈理解〉考」でじっくりと書いていかなければいけないと思っている(時間をなんとかとらねば…)。

自分の頭という器に入れなければならないちっぽけなMWMで、人々の集合的な知であるCWMを捉えるという課題におけるAIの可能性は、今回のCPC Campで個人的にも一つ大きなテーマとなった。具体的には、昨年のCampと違って、自分の手元でもClaudeを目いっぱい動かし、Slackや手元のメモをコンテキストに入れながらまとめを生成し続けた。ブロードリスニングのように、AIをある種の記号処理能力の拡張のために使う可能性を肌で感じることができた。MWMとCWMの接合部分にAIが差し込まれた時に何が起こるのかというのは、実践的にも、CPCの理論的にも、これから大変興味深いところだと思う。

以上、とても局所的な、自分自身についての学びについて備忘的に書いてみた。CPC/記号創発システム論には、このようにある種の自分自身、あるいは集合知を発揮する集団としての「われわれ」自身について教えてくれる自己啓発/われわれ啓発としての使い方があると思っており、今後はあくまで学術的に健全に発展していくことが第一義であることは押さえつつ、そのような「生活者のための」含意についても個人的には掘り下げていきたい。

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最後に、この合宿を構想し、入念に企画し、当日もリードし続けてくださった谷口忠大さん、そして数か月前からロジスティクスを統括された林祐輔さんをはじめとするコアスタッフの皆様に深く感謝申し上げます。また、お忙しいなかCampにご参加いただいた皆様にも、重ねて御礼申し上げます。