400ページ以上にわたって、インターネット、SNS、AI、VR、アバター技術などの情報技術によって、今を生きる私たちがどんな影響を受けているのかを、技術の発展史や、広範な学術的考察を引用しながら紐解いた一冊。

麦とTwitter: 情報技術がもたらすコミュニケーションの変容

麦とTwitter: 情報技術がもたらすコミュニケーションの変容

  • 作者:久木田 水生
  • 共立出版

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本書には、本書を要約するようなわかりやすいアーギュメントはない。それが、本書の特長であるように思われた。なぜなら今、AIなりSNSなり、技術を語る言葉には、常に明確なポジションがこびりついているからだ。それは、「AIを使え」といった推進側のポジションであったり、逆に技術がもたらす危険に警鐘を鳴らすポジションであったり、あるいは著者独自の学術的コンセプト(例:「監視資本主義」)を売り出すポジションであったりする。

対して本書『麦とTwitter』は、極めて淡々と、ゲーム依存が子供にもたらすかもしれない影響について、AIによる意思決定が社会全体にもたらすかもしれない影響について、バーチャル化するコミュニケーションの可能性と影響について、事例や学説を道案内してくれる。そしてそこには、研究者としての著者とともに、現代社会を情報技術とともに生きる生活者としての著者が顔を出す。生活者として悩みながら、自分自身の問題として向き合っていることが伝わってくる。このスタンスで書かれているからこそ、多くの人の参考になる、と私は思った。

この本を通しての一つの重要なテーマは、情報技術を使うことで、自分たち自身の価値観が「変容」するということだ。これはよくわかる。Twitterが出たばかりの頃、それにのめり込む周りの友人の気が知れなかった。しかし数年経てば自分もすっかりのめり込み、10年以上、ヘビーユーザーとなった。Twitterは自分のコミュニケーションの主なツールの一つとなり、Twitterをきっかけに出会った知人も多いし、私のキャリア自体がTwitterを軸に作られてきたような気がする。本書のタイトルに準えて言えば、Twitterは私にとって米や「麦」を食すことと同じくらい、自分の生活や人格形成の一部となっている。

こうした、技術と自己の絡み合いのなかで、「客観的」に技術の影響を見つめ語ることは難しい。だからこそ、得てして、もしかしたら自分自身も信じていないような極端なポジションをとり、ある種イキりながら語られる言葉が増えてくるのだと思う(ビジネス的にも、学術的にも)。著者はこの本を2019年から書き始めたというから、構想・執筆に6年はかけていることになる。それだけ落ち着いて、こうしたテーマについて言葉を発せる人は稀だろう。

情報技術によって変わりゆく私たちが少しでもマシな方向に変わっていけるようにするすべを一度冷静に考えてみたい人に、広く読まれて欲しいと思う。