昨晩、日本科学未来館で開催されたイベント、Antikythera Tokyoに参加した。前から非常に楽しみにしていた会であり、予想通り大いに刺激を受けたのだが、まだ何を見たのかがよくわからない。感想がまとまらないなかでの、速記的なメモを残しておきたい。
【10月11日開催/参加無料】「惑星規模のコンピュテーション」を前提とした時代の“新しい哲学”を構築する「Antikythera Tokyo」が日本初開催
Antikythera Tokyoとは
Antikythera(アンティキテラ)は、哲学者のBenjamin Bratton氏が展開するプロジェクトで、Bratton氏の哲学を軸に、出版活動や研究活動に加え、今回のようなトークイベントを世界各国で行っているらしい。私は昨年この人の記事を読み、その視点の面白さに関心を持っていた。
この動画も全編見てみた。これはやられる。しばらくはまりそう。AIはExistentialなテクノロジーだが、それは人間を殺す存亡(existential)リスクのためではなく、人間の自己像を塗り替える実存的(existential)なリスクと可能性を突き付けるためである、と。https://t.co/EqLQoxgvBo
— R. Maruyama (@rmaruy) 2024年6月24日
Antikytheraのウェブサイトを見ると、まず気づくのはデザインへのこだわりの強さだ。Benjamin Brattonの講演動画も、暗く広大なステージの中央のスポットライトの中でモノローグを繰り広げるスタイルだ。個人的には、若干このような演出には警戒してしまうところもあるが、彼の語るスケールの大きな技術哲学を伝えるため、空間と時間の設計に細心を払っていることがわかる。
| [Events | Antikythera](https://antikythera.org/events)今回は一般社団法人デサイロとの共同開催ということで、どんな会場になるのだろうと思っていたが、日本科学未来館の地球ディスプレイ「ジオ・コスモス」の吹き抜けスペース。「惑星的計算」を一つのキーワードに掲げるAntikytheraの会場として、日本でこれ以上ふさわしい場所があるだろうかと唸らされた。 |

では、中身について。
Benjamin Bratton氏 Keynote “Convergent Artificialization: Life, Intelligence, Planet”
まずはBratton氏の1時間のキーノートトークがあった。面白かったが、正直、Bratton氏が何を話したのかの全貌は理解しきれていない。
このトークの主題は「テクノロジーとは何か?」そして「artificialであるとはどういうことか?」という問いに、自身なりのオルタナティブな答えを出す、というものだったと思う。一般に思われているようなテクノロジーの定義を広げる。とりわけそれを進化の視点で捉える。
「artificialなものも進化する」というのが大きなテーゼだ。生物が進化するように、人工的な技術も、そのニッチを見つけて進化する。そして、生物進化と技術進化は絡み合う。技術を生み出せるような種を、生物進化が生み出した、というように。そして、全てのテクノロジーはそれ以前のテクノロジーから作られる。つまり、前のテクノロジーを足場(scaffold)とする。そして技術進化の末に今起こっているのが、人工化するプロセスを人工化するテクノロジーとしてのAIの登場である。
Bratton氏はまた、テクノロジーが、それを生み出した人間を変えるプロセスにも着目する。AIについていえば、「我々がAIに思考することを教えるのではなく、AIは思考するとはどういうことかを我々に教える」のだ、という。最後にBratton氏は、AIという技術が何のscaffoldになっていくのかは誰にもわからない、広大な可能性があると語った。その行く末をコントロールしようとするのではなく、「長期的に見て適応的であるにはどうすればよいか」が問うべき問いだ、というコメントで結んだ。
以上がBratton氏のトークの良い要約である自信はまったくない。また、この話のどこが現代の技術哲学に照らしてオリジナルなのかを判断する力は私にはない。それでも、連綿と続く技術進化の中にAIを位置付け、常識的なモラルを介在させずにそのありうる展開を見通すBratton氏の話には引き込まれるものがある。と同時に、どこかこれについていって良いのかという警戒心も募る。
Blaise Agüera y Arcas氏 Keynote “What is Intelligence?”
二つ目のBlaise Agüera y Arcas氏のキーノートが、このイベントで最も楽しみにしていたものだった。y Arcas氏はGoogleのLLMの開発にも関わってきた研究者で、最近出したWhat is Intelligence?という本が非常に良かったからだ。
“What Is Intelligence?” by Blaise Agüera y Arcas、一読了。LLM以降でAIについて書かれた本として、個人的にはベスト。細部への同意不同意はあれど、次の四半世紀の世界観・知能観の土台を与えてくれる本ではないだろうか。
この土台の上で、いろいろな方と話してみたい。https://t.co/Yb5ZEZHB19— R. Maruyama (@rmaruy) 2025年9月25日
今回のトークは、この本のごく一部をかいつまんで話すという感じの内容だった。
y Arcas氏の話で最も私が重要だと思うのが、彼の「コアAGI仮説」についての考え方が変わった、というところである。「コアAGI仮説」とは、Generalな知能は狭いタスクが解ける知能とは質的に違う、というもので、多くのAI研究者はそう思ってきた。自身もこれを信じていたが、2019年くらいになると信じられなくなってきた、とy Arcas氏はいう。それは、Next word predictorであるはずのLLMが、高度な推論能力を持つようになってきたことだった。LLMは本物の知能ではないという人もいるが、これは「茹でガエル現象」だと彼はいう。私たち自身も、massively computationally-scaled predictorなのだ。
人間もLLMも同じであるという人はそれなりにいる。しかしy Arcas氏がすごいのはここからで、人間もAIも予測マシンであり、それが知能だという認識から逆算して、生命と知能を「初めから」語り出すことにある。非生命から生命が誕生し、そしてそれが人間に至り、AIが出てきた流れを、極めて足早ではあるものの一つのビッグヒストリーとして語ったのがWhat is Intelligence?だ。
このなかでは、フォン・ノイマンの『自己増殖オートマトンの理論』に依拠した、「生命は初めから計算である」という見方、ミトコンドリアの細胞内共生に代表されるSymbiogenesisのプロセス、そしてSymbiogenesisのプロセスとして技術進化を捉える視点などがキーコンセプトとして提示される。ここでも、y Arcas氏の語る一つ一つの話の学問的な妥当性は私は判断できない。しかし、「LLMという機械をつくり得た」という驚きから出発して生命や知能の歴史を辿り直すというプログラムそのものは、今自分が求めていたものだという強い感覚がある。
Talk Session
2つのキーノートに続き、日本語のパネルディスカッションが二つ続いた。一つ目では、池上高志氏、谷口忠大氏、清水知子氏が登壇し、川崎和也さんが司会を務めた。
池上氏と谷口氏がこの場に招かれたのは、企画者の慧眼だと思う。なぜなら、両名は、Brattonやy Arcasが描いたビッグヒストリーに対して、その具体的なステップを記述するのに欠けている学理そのものを生み出すことに長年を費やしてきた日本有数の研究者と言えるからだ。つまり、池上氏は人工生命という分野で、いかにnaturalisticな世界像の中に生命という現象を語る新しい言語をつくれるのか、そして新しい生命や知能を生み出すことができるのか、に関わってきた方。対して谷口氏は、BrattonのいうScaffoldの階層性のなかで、言語などの記号が生まれてくるダイナミクスと、記号システムがそれを使うエージェントのシステムとどうカップリングしているのかに関する学理構築を目指してきた(いずれも粗雑すぎるまとめですがご容赦を)。
このような2名であるから当然Brattonやy Arcasのトークに共鳴しつつも、disagreementも含めて深い応答がなされていたと思う。その具体的な応酬について行けなかったのは完全に私自身の力不足に尽きる。

二つ目のトークセッションでは、藤倉麻子氏、小林恵吾氏、篠原雅武氏、柳澤田実氏が登壇し、司会を代表理事の岡田弘太郎さんが務めた。ここでは、芸術家、建築家、人文学研究者の立場からキーノートへの応答がなされた。このセッションでは、どちらかというと、Bratton氏らの話をある種の戸惑いや留保を含めて、自らの思考や実践にどのように落とし込めばいいのかを慎重に語る姿が見られたように思う。たとえば、柳澤氏は、Brattonのように「進化」として技術を捉えるだけだとその評価が難しくなるのでは、というコメントをした。これは自分自身感じたところで、Bratton氏の技術哲学が、ある種の宿命論、人間も巻き込んだ形にアップデートされた技術決定論的に聞こえるところがあった(よく議論すればそうではない、ということになるのかもしれない)。
所感
すでに自分の所感を交えて書いてきてしまってはいるが、改めてイベント全体の感想を書くとするとどうなるだろうか。
まず、繰り返してきたように、LLM時代の新たな技術哲学、生命・知能のビッグヒストリーを語るという、Brattonとy Arcasの挑戦は非常に重要なものだと思う。それは純粋な知的な課題としてもそうだし、今後のAIのある世界をどう生きていくのかという実践的な意味でも、技術を捉える枠組みの再構築が求められているように思う。
一方で、最後のセッションで強く感じたように、そういう「大きな絵」を持ち得たとしても、私たちは今までの身体で、脳で、場所で、時代で、生活する時空間的に限局された存在である。いかに人間とAIの共進化がある「絵」のなかで納得的に描かれたとしても、「今日自分は何分ChatGPTと会話するか?」とか、「日本に来年データセンターを何GW分作るか?」といった足元の問いは残る。しかしだからと言って哲学的な「大きな話」に全くプラグマティックな含意がないかというとそうではなく、むしろそうしたナラティブが、イマココの判断を規定する(priorとして作用する)という意味で非常に重要である。
私たちは、今日のキーノートのように惑星的な空間スケール、地質学的な時間スケールで生命や技術の発展を語ることもできるが、同時にある限られた時間スケールと場所に埋め込まれた存在でもある。そのギャップが、今日の一連のプログラムからは鮮やかに浮かび上がる。
— R. Maruyama (@rmaruy) 2025年10月11日
このギャップをどう繋ぐかということが、哲学者だけでない、すべての人の課題になっているのが、AIが社会の変化を加速する現代なのではないだろうか。
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とても断片的な感想になってしまったが、昨日のイベントで何が話されたのかを完璧に理解した人は、登壇者や企画者も含めていなかった、と言ってもあながち間違っていないのではと思う。エンディングで企画者の川崎さんが述べていたように、Benjamin Brattonの哲学は日本にまだ入ってきていない。私もちゃんと読むまでは、その魅力と、もしかしたらあるかもしれない受け入れがたさを判断することはできない。今後、Benjamin Bratton氏の活動に限らず、こうしたポストLLMの哲学の国を超えた紹介と、分野を跨いだ議論の応酬が活発になることを期待したい。Antikythera Tokyoはそういう近未来を予感させてくれる、素晴らしい企画だった。