例年どおり、一年の振り返り記事を書きます。自分のことしか書きません。時間の流れに自分なりのpunctuationを打つためのメモです。
スタートアップで働くことに
2025年がどう始まったかを1年前の記事を見ながら思い出してみると、未来への展望がほとんどなかったことがわかる。京都大学の谷口忠大さんのアウトリーチ活動を3月までやらせていただくことが決まっていたが、4月以降の予定は白紙だった。その状態でお正月を迎えた。
しかし、正月休み中に転機が訪れた。昨年とある場所でお会いしたAIスタートアップの創業者からSNSでメッセージをもらい、うちで働いてみないかとの打診をもらったのだ。得難い機会に思われたので二つ返事でお受けし、4月以降、フルタイムに近い形でその会社で働くことになった。
そして9ヶ月ここで働かせていただいた。何をしているのか。もらった名刺のタイトルは「Writer」だった。このタイトルはしっくりきている。社内の人と話し、社外の情報を集め、社内外に向けて文章を「書く」。既存の職種だと広報(PR)になると思うが、最近読んだ記事で「Storyteller」という職種が米国で増えているというのがあって、自分がやっていることに近いと思った。1割と自分が得意な役回りだと感じる。
ともかくも、創業半世紀以上の中小企業と、国の外郭機関でしか働いたことがない私にとって、スタートアップ企業で働く経験はとても新鮮だった。裁量が大きく、フラットで、すべてが早い。Andrew McAfeeの『ギーク思考』という本には、米国の新興IT企業に代表されるようなスタートアップが、いかに伝統的な官僚型組織と異なるかが描かれているが、それを中から体験できて、とても刺激的である。もう一つこの仕事の大きな魅力として、国際性があり、そのことは最後に書く。
なぜ(今は)就職しないのか
この会社にはフルタイムに近い時間を使って仕事をしているものの、社員にはならず、業務委託契約で働くことを選んだ。その理由としては、前職であるJSTを辞めた時に、数年は「個人活動」をしたいと思ったことがある。人生・キャリアの折り返しを迎えるこの数年には、組織に属さずにものを考えてみたいと思っている。
というのも、いかに自分が考えていると思っても、その都度のポジションに私の思考は方向づけられる。出版社に勤めていた時には出版業界を背負って考えていたし、JSTにいた時は「日本の研究エコシステム」を案じていた。その時にはそれは自分の内発的な問題関心のように思われるのだが、一旦辞めてみると、急に自分が生まれ変わったような感覚にもなった。
一回きりの人生で何を考え、何を理解するか。これは、何かの業界に雇用されていたり、特定の会社のシェアホルダーになっていたりすると、どうしても暗にその思考が引きずられる。もちろん、フリーランスでいればあらゆる利害関係から自由であるわけではないし、そもそも何の文脈も背負わずに「真空」で考えることなどできない。それでも、いったん、状況が許すのであれば組織に属さずものを考える数年間を作りたいと思った。このいささかself-indulgentな期間が終わったら、また組織人に戻るだろう。
何を考えたいのか
40歳を手前に自らモラトリアム期間を作ってまで、何を考えたいのだろうか。煎じ詰めると、私は何かを理解することに興味があり、その興味が「理解するということ」そのものにますます向かっている。理解するとはどういうことかを理解したい。
これが単なる自己言及ループのようになってしまうと、何の出口もない「思考のための思考」に陥ってしまいそうなのだが、今新鮮な一つの風がこの「理解を理解する」ということのループに吹き込んでいる。それがAIである(こういうAIの持ち出し方にそろそろみんなうんざりしているかもしれませんが)。
AIというものが日常の知的生産活動の中に当たり前のように入ってくるなかで、また人間の専売特許だと思っていた知的能力をAIが易々とこなしているように見えるのを目の当たりにする中で、「理解」という営為の方法も、その営為の意味そのものも揺さぶられている。その変化を、どう「理解」できるかということに最近は強い興味がある。
そして、それをマクロに広げると「メタサイエンス」の関心になる。私たちが集団として何かを理解しようとする営みが「科学」であるならば、その在り方自体を探求の対象としてまなざす「メタサイエンス」に私の関心は自然に向く。
昨年末に、自分の役割を表す言葉として「メタサイエンス・コミュニケーター」というのを思いついた。科学のなかでも、科学を対象とする科学、つまりメタサイエンスに特化した科学コミュニケーター、という意味合いのつもりだ。科学が社会的にどう営まれているのかについて、科学技術政策/行政などに携わる人たちの「外」に認識が広がることには、一定の公共的な意義があると、前職での経験を通じて感じている。
A Case for Becoming a “Metascience Communicator”
AIの科学への影響を超えて、AIの社会や思想全般への影響についての興味も高まっている。ここ数年感じ続けていることだが、「すごいAI技術」が主に海外から舶来することに対する一つの恐れというより諦観のような空気が気になっている。欧米の一部で根強い「AI破滅論(AI doomerism)」ならぬ「AIニヒリズム」とでも呼ぶべきような空気感である。AIは「人間を助ける技術」であると喧伝されながら、一部の開発者やアーリーアダプターを除けば、AIという観念そのものが人々を精神的にdisempowerしているのではないだろうか。このことが腹立たしい。これに自分はささやかに抵抗を続けたい。そのためにはAIという「観念」を、あの手この手で飼い慣らす試行錯誤が重要であるように思える。記号創発システム論に惹かれる背景の一つも、それがAIと人間の関わり方をより見通しよく考える枠組みになってくれるのではないかという期待があるためだ。
メタサイエンス・コミュニケーション活動(およびAIニヒリズム抵抗活動)
ということで、私は「メタサイエンス・コミュニケーター」として「メタサイエンス・コミュニケーション」の実践をしていると、少なくとも言えるようになりたい。残念ながら大したことはできていない。以下、今年やったことをリスト化しておく。
- メタサイエンス運動に関する報告
- 5月20日大阪大学ELSIセンター「ELSIセンターをメタサイエンスする!」にて報告「メタサイエンス運動とは何か」
- Metascience 2025(@ロンドン)簡易報告:メタサイエンス運動/連合の現在地(2025-07-19)
- メタサイエンス研究会のワークショップ等運営補助
- AI科学に関するメタサイエンス観点からの報告
- 2025年11月14日、第4回AIロボット駆動科学研究会 報告「(メタ)科学コミュニケーターからみたAI for Scienceの同床異夢」
- 2025年9月5日、日本心理学会「「AI for 心理学」のすすめ」 報告「AI in/for Scienceを概観する」
- 研究エコシステムをよりよく変える実践について
- 全10回のレクチャー開催と、それに基づくOpen Academia Vision Book執筆。
- AI関連(”AIニヒリズム抵抗活動”)
- 教科書の執筆活動にこの2年間関わらせていただいた(2026年に刊行予定)
- 5月29日、人工知能学会のセッション「希望ある未来に向けたAGIの安全性とアライメント」にて報告「AIの電力問題を概観する」
- その他、noteにスケッチ的なAI論を書き綴り、思考を前に進めた
- 記号創発システム論のアウトリーチ:
- 2月〜4月:「記号創発スタディノート」
- 2月~12月:「記号創発クロストーク」全12回+α
- 3月:CPC Campの記録執筆
キャリア選択上のヒューリスティック
今年起こった変化で一つ特筆すべきものに、年間を通して「英語で仕事をした」というものがある。海外出張にも2回いくことができた。
薄々感じてきたこととして、英語で話すと元気が出てくる。英語自体が原因ではなく、そこには英語で話す状況に関係する交絡因子が控えている可能性もあるが、それでも「英語で仕事ができる状況に身を置き続ける」というのは自分の精神的健康にとって有益なヒューリスティックである。今年、この思いを新たにした。
なので、この環境を手放したくない。残念ながら自分には「英語だけ」でWriterの仕事ができる語学力がない。しかし、そこは生成AIの力を借りることもできる。2026年は、もっと英語で文章を出していくことを心がけたい。
2026に向けて
また新しい一年がやってくる。1年後にどうなっているかわからないのは今年のはじめと変わらないが、だいぶやることは見えてきているように思う。
2025年に細々と続けてきた以下は継続したい。
- AIで科学が変わっていく様をメタサイエンスの視点からフォローする
- AIの社会受容を俯瞰的に眺めながら、「AIニヒリズム」への抵抗を試みる
それに加えて、
- 今年は本格的に、「AIブームのさなかに個人として理解するということ」についての考察を深めたい。
以上を、日本語に閉じずに英語発信も行いたい。
興味を持っていただける方と双方向に議論できるようになっていったら素晴らしい。こうした活動を通して、self-indulgentなフリーランス期間を、できるだけ実りあるものとしていきたい。

創設者のビジョン、現チームのコンピテンス、外部の人々の関心と価値観、技術的・社会的趨勢を横目で見ながら、そのチームが現環境のなかで最大限のびのび進めるようにするためのナラティブを紡ぎポンチ絵を描く役割
などと表現してみたりもした。